夜の教会。クリスマスに地元の作家に連れて行ってもらった場所。戦争に翻弄された彼女の人生は本当に重く、そのエピソードは想像も及ばないほど複雑です。
彼女は何度も何度も家庭に招待してくれました。食事をしたり、創作への思いを語り合ったり、たのしい時間をすごさせていただきました。この国の歴史、このラップランドの歴史がそのまま私の前にいる、そんな気持ちで胸いっぱいでした。
クリスマス。
「ヒッロハル、シベリウス、プリーズ!」彼女が言うので、シベリウスLP全集を出し、ソニーの古いプレーヤーの針を、そっと、落としました。
ちなみに、こっちの人は、"R"をやたら舌を巻いて発音します。日本では、かならず、ラリルレロ、は"R" で記述することになってますから、私の名前「もりい ひろはる」は3つも"R"があり、やたらめったら巻き舌で呼ばれることになります。「ひっるっぉはぁっっるっ」て感じです。でもって、「発音はしやすいよ、変だけど」だそうです。ニューヨークの友人も「おれ、"R"大好き。感触いい名前だな!」といってくれました。彼はヒスパニック系なので、独特の発音をします。例えば“サラサール”とか“カルバハール”なんて名前もありますから。彼もまた、むっちゃ、舌打ちみたいに巻きまくります。
関西人限定で、最も分かりやすく説明すると、「おんどりゃああ!!」の“り”、です。(?)これ以外で日本人がこの発音をすることはないでしょう。(?)
ふつうの"R"発音「舌を巻いて、上あごに付けない。」ではまず理解してもらえません。巻きまくって、上あごに打ちつけまくらにゃあ、そんなもん・・・!?
ついでにフランス人は当然 "H"を発音しませんから、「いっるぉあっるるっっ」。おまけにロシア人は "H"を"G" のように発音しますから「ぎっるおがぁっるっ」。
もひとつおまけにオランダのアーティストたちはHiroharu をどう発音すべきか教えてくれ、と聞いてくれたので説明したのですが、彼らの”R”がまた複雑! なんだか、「くわぁっはぁふゅはふ」言っておられました。
親しいノルウェー人には あるときみんなの前で「彼の名前を発音するには練習が必要なの。」と言われ、「エー!!そうやったん?」
親切なオーストラリアの詩人がおられ、彼は会った人の名前を覚え、声をかけることを大切にされる紳士でしたが、毎日私の名前だけは大変苦労されてました。
「はぁるひろ・・?」自信なさげにおっしゃるので、こちらも「まあいいか!」
ああ、そんなに覚えにくく発音しにくいなら、日本式に苗字の「モリイ」で通せばよかった。気付いたときにはもう遅かったのですが、彼らはファーストネームで覚えてファミリーネームを覚えない。
昔から、自分の名前は「しまりのない、はひふへ発音」なのでいろいろ言われました。「はるひろ?ひろはる?どっちだったっけ?」「はらほろ」とか・・が、しかしロシアではやたら押しの強い名前になりました!“獰猛な大型魚類”みたいでいいですなあ。)
『ギッルオガアッルッ!!』
レコード・・アナログなノイズ、この感触、いつ以来だろう・・?
ふと気づくと彼女がいません。
彼女はクリスマスだけ、必ずシベリウスを聴き、そして必ず泣いてしまうのだそうです。これは彼女に限ったことではなく、戦争を経験したフィンランド人なら大抵が同じように語っておられました。シベリウス、にはフィンランド人の心を揺り動かす不思議な波長があるらしい。もちろん曲に込められた物語もあります。「ハンカチは一枚では足りない。」そうです。
ちなみに私は・・・クラシックは全然・・・見かねた先輩が、「フィンランド行くならこれくらい聴いとき」と、シベリウスのCDを下さいましたので、なんとか、「これ、しってる。」とかろうじて言えるようになりました。音楽系の知り合いが多いので、声楽家、ピアニストなどの方から、リサイタルに招待していただくことがありますが、「すごい!」しか、言えません・・・感性と、表現力の欠如を感じます。
ついでに、フィンランド人からもこちらでシベリウスのCDを頂きました。無知を恥じ「勉強しなきゃ。」と思わず言うと、ニコッと笑い「いや、感じるだけでいいんだよ。」うおお。キメましたな~。
「さっ!食べよう!!」そしてシベリウスタイムが終わると彼女は元気に立ち直ります。
ロシアをにらみつける家族。しかし、街を廃墟にしたのはドイツ。そしてそれを黙認したフィンランド政府。各国に蹂躙され、本国からも見放された歴史を持つラップランド。
「ここはラップランド。フィンランドじゃない。」そういう人もいます。
伝統的な内装
湖面上。来た道の分だけ帰らなくてはなりません。
さらに進むか、今すぐ帰るか・・
ラップランド特有の陽光の柱。
私が現地の人に「太陽から火柱が上がっていた!」と説明しても誰もわかってはくれませんでした。天気の良い冬の日暮れ(14~15時・・)にたまに見れる現象。
圧倒的な、心を酔わせる色と空気。
どうあがいたってこんなものを絵に描き出すことなんてできない。
目前にするとただ、ぼおっと、突っ立ってるだけしかできないし、それで充分にも思えてきます。
これをうまく描いてやろうということ自体、思い上がりではないか。
ただ感動して眺めているということが一番純粋なのではないか。
なんだか自問してしまいました。