時間について
『白夜』と『極夜』
白夜は北欧に快適な夏を過ごしに行った人の味わう、最も特徴的な現象ですが、その正反対の極夜(キョクヤ)と言う言葉はあまり聞くことはありません。現に漢字変換にも出てこなかったりします。
冬の北極圏では、12月の後半を最短として、日照時間が減少し、一日のほとんどが日の沈んだ状態になります。お昼にぼんやり明るくなり、またすぐ夜になるのです。
ラップランドに着いたら、きっとものすごく夜が長く感じられて、時間の流れもゆっくりと、抑揚の無いものになるんだろうな、と考えていました。
それこそ私の体験すべきものではあるのですが、もんもんとしてしまったり、ヒドイ場合は鬱状態になってしまったり、恐いことも覚悟しておりました。長い長い夜とどう向き合うのか・・・
知り合った著名なカナダ人の作家さんにも、「暗さに負けるな!孤独に負けず、常に心を強くもつんだ。」と励まされました。百戦錬磨の彼をして、「君は孤独を愛せるか?なら、大丈夫だ。」と言わしめる位ですから、極夜とはどんなものなのか、恐くもありました。
通常、絵描きと言う人種は、主に夜行性の生き物です。日が暮れてからの時間が長いからといって、じゃあのんびり寝るか、と言う気分にはなれません。それなりに仕事も長くできる、つまり夜が極めて長い、イコール、「一日の活動すべき時間が極めて長い」と言うことでもあるのです。
その長すぎる「眠るべきでない夜」をいかに精神的に消化するのか。
大げさなようですが、遊びに行ってるのでは無いわけですから、しっかりと覚悟をすべきだと思っていたのです。
しかし、現実は全くかけ離れたものでした。
「一日が、異常なくらい早い!!」のです。
常識的に考えれば、日照時間が短い(場合によっては、無い!)訳ですから、一日が短く感じられるのはむしろ道理と言えるでしょう。
かもしれませんが、この桁外れの時間の進みの速さは全く想像出来ませんでした。感覚的には、日本での「通常の倍」の速さに感じます。
通常12月の晴天の場合、10時くらいに(ほんのり)明るくなります。
マイナス15~30℃の屋外で、撮影や、制作、フィールドワークをこなしていると2時には日が暮れてきます。この日照時間が日に日に短くなってくるのですが、氷の上での作業など、(意外なほど快適なのですが)やはり足の裏から冷たくなってきます。途中休憩を入れたとしても、夕方には切り上げることになります。これ以上無い、本格的な極地用ブーツにウールのインソールを追加していてそれです。
とっぷりと日は暮れ、冷気が夜闇をさらに深く感じさせる頃、暖かな家に帰って、ほっと一息。「あ~・・もう夜も更けたなあ・・」と、時計を見るとまだ4時!感覚的には9時位にはなってそうなのですが。
それだけ消耗しているのです。そこからは気持ちがOFFになってしまうのか、飛ぶように時間が過ぎて気がつけばなぜか午前0時。早く寝ないと明日の作業に差し支えるから、と就寝。そこから寝ること寝ること!最低9時間!
そりゃ、あんたが寝すぎてるだけじゃないか!と言われても仕方ないのですが、そう思って早く起きても身体が結局同じだけ睡眠を求めてしまいます。仮眠をとらないと持たないのです。
これでも日本ではだいたい6時間睡眠でしたから、まあ、ふつう。そんなに怠惰な人間ではないと思っておりますが・・ まあ、絵描きのお仕事など世間では「道楽でっか?」てなもんなんでしょうけど。
椎名誠さんも何かに書いておられましたが、南国からいきなり北極圏に来てしまったら、毎日どうしても起きることができず、延々寝続けてしまって呆れられた、というのです。あまりの寒さに身体がOFF状態になるのでしょうか。
寒さというものが身体に、あるいは精神にもたらす影響はじつに深いものだと、つくづく思い知らされます。
そして話は戻って・・起きたら10時前・・さすがに「やっちゃった・・もったいないことを・・」と悔いますが、それが毎日。労働とそれに伴う休養の歯車ががっちりかみ合って動きようないのです。
そしてそれだけ寝てて思うことが、「え・・もう一日が始まってしまったの・・?」
そう、一日が、倍、早いのです。本当に恐ろしくなってしまいます。
太陽の存在
冬の北欧の太陽光は弱い。それは事実です。
しかし、連日うすぼんやりしているかとおもえば、時にため息が出るような『ひかり』をもたらしてくれる時があります。暗いといっても「暗雲、重く垂れ込める・・」と言う印象はありません。曇天が重く陰鬱に感じられるのはむしろ、日本や東南アジアのように、空気まで有機的に、濃密な生き物の気配が満ちた国においてでしょう。そんな地においては、晴れた日は、生の喜びが無条件に心を高揚させてくれますし、また、曇り空の日には負の面で、生きることの感触を伴った独特の[重さ]を抱かせます。つまり、つらいのです。
冬のラップランドの厳しい寒さ、乏しい光は、決してそういったつらさを感じさせません。なんと言ったらいいか、もっと「遠い存在」なのかもしれません。空と自分の間にあるはずのもの、地面から立ち上る湿った空気や、生き物の吐息や、におい、肌でとらえるようなものたちを、感じさせてくれる要素が極めて薄いのです。良くも悪くも、人の存在から遠くはなれた存在なのです。「あなたがどう感じるかなんて、関係ありません。」と、10000キロ高く遠い向こうから、かすかに聞こえてくるような感じです。
神聖で清潔で、遠い。まあ、アジア人のひねた作家の得た印象に過ぎないかもしれませんが。
その時々によって、全く性質の違った美しさを持ち、 その印象には『優しさ』が感じられたり『劇的』であったりもします。
そしてどの表情にも通じるのが、その麗しさです。のびやかで、滑らかで、惚れ惚れするほど繊細なのです。うすく薄く透明な紫、ももいろ、白金色などの光が辺り全体を包み、世界中がそのひかりに浸されたような気持ちになります。
そしてその中に、ちいさくちいさく、揺れ動いている自分の姿もまた、心の中まで同じひかりに染められているような気がしてきます。あらためてそのひかりの存在の大きさに気付くのです。
思えば、こちらに住むひとびとの姿や、暮らしぶりにもそのイメージは重なります。個性派ぞろいの私の隣人たちですが、その繊細さや、美意識や、謙虚な心の持ち様において、どこかやさしく、あたたかなものを共通して内在させています。
微弱なひかり。暗闇の世界。 全ての人から私はそう聞いておりました。
でも私が一番実感することは、むしろそんな中にあって、ラップランドの光は実在感がほんとうに強いということです。
暗いから、よけいに僅かなひかりの色のニュアンスが、どこまでも伸びて広がります。
あるときは、辺りがすべて真っ白に見えることがあります。 太陽も見えないのに、全体があかるい白い情景として、平面的な乳白色に溶け込んで見えます。凍りついた湖面や、雪の大地は、どんな日も空より明るいのです。まるで転地が逆転したように感じられます。
日本の夏のような強い光では、暗い影とのコントラストが厳しくなって、強烈な鮮やかさを放つ一方、微妙な色の差異は、分かりづらくなります。
もっとも、私はそんな日本の夏の光は大好きです。気持ちがめらめらと高揚します。
しかしそんな風土を当たり前に感じすぎていては、その本来の良さや、他の存在も理解できなくなってしまうでしょう。
矛盾するようですが、極夜のひかりは『脆弱で、はかない』のではなく『堅牢でうるわしい』ひかりなのです。
クリスマス
クリスマスに友人がこちらに数日滞在してくれました。厳密には親友のパートナー。
彼女はデンマーク家具の輸入会社で働いておられ、知的で、英語はもとよりデンマーク語の講師まで勤められる才女です。扱う家具も作家モノの超一流品ばかりです。私もいろいろ話をして、勉強にもなります。彼女はこちらの人たちにも大変気に入られて楽しい時間をすごされました。市長にも歓迎されて、私がさんざ落としてしまった日本のイメージを回復する大役をも担っていただきました。
彼女の彼、つまり私の直接の親友は建築家です。彼も学業優秀ですが、大学卒業時は、日本の建築関係の会社に就職を希望するも先が決まらなかったそうです。どうせなら、自分が建築家を志した当時に一番尊敬した海外の建築家の事務所にファイルを送ってやろうと、破れかぶれで暴挙に出てみれば「いますぐ事務所来いや~!!」との返事。
私ですら知るくらい著名なスイス人建築家からの直接の招待で、4年間修行されました。マイペースな彼はその4年間、日本語を話したのは「数時間」だけだったそうです。物静かな彼ですが、日本にいて、いつも人間関係などで違和感を覚えるらしく、むしろ「スイスにいた方が楽だった。」そうです。その頃私は、個性と自己主張の固まりの様な、外国人留学生軍団(しかもアーティスト・・)相手に、もみくちゃにされてヘロヘロになっていたので「そんなことあんの???」と思ったものですが、ここフィンランドにおいてはなるほど、とも思えてきます。
彼ら二人は私と同郷で同い年。ともに共通しているのは、じつに「日本人的」だ、ということ。静かで、穏やかで、知性的で、誠実。マイペースな語り口でも、相手に対する敬意が現れ出ています。声高に「日本人」を主張せず、それでいて無理してあわせるような媚びかたもしない。ありのままの誠実さ。それは私たち独自の国民性で、貴重なことだと信じています。そしてそれがフィンランドで良くなじみ、美徳として好意的に受け入れられていることをうれしく思います。
彼女は今回は単身で来られましたが、前日まではどんよりとした天候。せっかく遠路来ていただくのに(それもあえて冬に!)こんな天候では残念なことだなあ・・と心配していたのですが、なぜか彼女が到着した日の朝からさわやかな朝日がのぼり、穏やかな一日がスタート。私はマニアックなのでどんな天候でもそれなりに楽しみますが、こんな日は散歩だけでたのしい!樹氷は意外と軽い風だけで飛んでしまうもので、凍てつく気温でも木々は真っ黒い幹をさらしている日が多いのですが、彼女が着いた朝は、美しい樹氷が町中の木々を包んでいました。
彼女は都合によりクリスマスイヴにヘルシンキ到着予定でした。(彼を日本において!)北欧経験の多い彼女から前もって「イヴ、お店開いてるの?全部しまってるんじゃない?」と聞かれていたのに、私は「一部は開いてるみたい。」との現地ならではの説得力あるガセネタを提供。疲れて到着された彼女は、数少ない営業中のレストランを探す余裕無く、[クリスマスに、帰る家を持た無い人たち]の中でマクドナルド・イヴを過ごすはめに。
こちらのクリスマスは本当に静かです。お祭りじゃない。ろうそくを灯し、家で家族と心静かにすごすのがクリスマスです。そして教会で祈りを捧げます。
ツリーも森で切ってきたものにシンプルな電灯を巻いてささやかに飾り付けます。お昼はミルク粥にバターやベリーの甘いソースをかけて食べます。(クリスマスに、米です。意外なことに。)夜は七面鳥とか・・ですが。
夜の通りのモミの木に、簡単な明かりが巻かれ、樹氷をまとっている姿は本当に美しいです。簡素な美しさには、どんな人の心にも、柔軟に想像を膨らませるゆとりがあり、自然と町の在りようを損ねることはありません。
[以下、毒舌注意]
私は日本のお祭りクリスマスが大嫌い!! 北欧かぶれ、しているわけではありません。
最近日本で、家にゴテゴテ既製品の電飾を巻きつけて、近所で競い合ってるのを見ますが、「恥を知れ!」と思ってしまいます。クリスチャンを何だと思っているのですか??既成のサンタ、トナカイの形や、Merry Christmasの文字やら、そんな陳腐なもので子供たちに見せれる夢って、なんなのですか??
これ見よがしに外に見せ付けるためだけの悪趣味さ。お金出して、ただくっつけて、光ってりゃ景気良くていいじゃない、と言うだけの安っぽいセンス。
つければつけるほど、決定的に足りない[なにか]が浮き彫りになってしまい、さらに恥の上塗りをすることしかできない。 なんて悲しいことでしょう。
思想も美意識も感じられません。日本人が元から持っているはずの美意識はどこへ・・ 大和絵の[間]に自由・無限のひろがりを想像できるはずの感性はどこへ・・?
夜闇に置かれたたった一つの[灯り]のもつ意味、ありがたみ、夢。深さに気づくべきです。
そこに、[足りないなにか]が発見できるはずです。
そのままどんなにがんばってもパチンコ屋には勝てやしません!! いや、むしろ、そんな感覚の人なら、パチンコ屋へ行ったほうがてっとりばやくていいのではないでしょうか・・?
一方、クリスマス前の庭先で、どこぞの父さんが懸命に慣れない手作業をしているのを見たことがあります。不細工な工作でつくられたオーナメントとか、手作りの素朴なものでなにやら子供たちと作っている。なんだかとてもほっとした気持ちになります。
私も子供の頃は父の作ってくれた無骨なナイフをいつも持ち歩いて、山や池で悪さばかりしていました。丸太を削って組んだものが遊び道具になり、柿や桃をむき、魚を解剖したり食べたりして遊んでいました。
どんくさい親子像の創意工夫に満ちた日常、いいなあ、とおもいます。
私は、クリスチャンではあり(得)ません。先祖の皆様に、ありがとうございます、と『盆と正月くらいは手をあわせる教』の敬謙なる信者です。私はそんなどんくさい親子の幸せを祈ってやみません。
クリスマス翌日、彼女は日本の友人達からのノルマを果たすため、サンタの根城、ロヴァニエミに行きました。立派な教会のフレスコ画をじっくり堪能したあと、サンタ村に寄って日本へ手紙を投函。村を占拠する日本人群団を感慨深く鑑賞した後、やれやれ、宿題は終わり、と、帰宅。
アアルト建築や、教会、アルクティクム(ラップランド博物館)でほとんどの時間を過ごしました。何度見ても、いいものは、いい。あそこの剥製は絶品です!愛情たっぷりに作られた [箱詰めオオカミの生首]。今にも這い出してきそうな[上半身カワウソ]。殺されていることに未だ気づいていなさそうな「トナカイの親子」など。意味が分からない方はぜひ現地で御覧ください!
ベルゲンの博物館の剥製は圧巻の数量を誇り、[コレクション的]または[図鑑的]ですが、アルクティクムの剥製には矛盾するようですが、その生命に対する愛情を伴った観察眼が感じられます。[剥製]にはなんだかネガティブなイメージが付きまといますが、個人的にここの剥製の持つ意義は理解できます。
ファッションアイテムとして毛皮を買うことよりは、よほど純粋な行為と言えるでしょうし、CGで作られたできの良い「ニセモノ」よりは、真実の姿を人々に告げてくれるでしょう。
もちろんドイツとロシアに翻弄されつづけた近代ラップランド史については学ぶべきものが大いにあります。もっと楽に説明が理解できれば、と悲しくなりますが。
ちなみにサンタ村は30分くらいしかいませんでした…。子供連れならいいところなんでしょうけど・・
翌日。はずれ年と言われる今年には珍しく、オーロラを楽しめました。薄めだけれど、見れないよりは良い。彼女は本当に強運。
短い期間だと言うのにいろんな方から祝福を受け、暗い冬に日の光を齎し、さらにここしばらく見れなかったオーロラまで捕まえました。
彼女がラップランドを発つのを見送って、いつもどおりのフィールドワークをはじめると、にわかに気候が怪しくなってきました。異常な冷たさを覚えカメラも何も凍りつき働かなくなってしまいました。無理にファインダーを覗こうとするもガラス面はアンチフォグ仕様にもかかわらず凍って見えません。ほっぺたがカメラの金属に触れて張り付き、刺すように痛みました。「あぶない!」と気づいたとき、温度計を見るとマイナス37度,しかも強風下・・・なんでいきなり。
今回来れなかった親友よ、彼女を逃がしてはいけないよ!!
お昼。
サンタの棲家・・